脊椎動物への進化

23歳の私は15歳の頃の私より少しも賢くない

返歌その1

自分らしく生きることで後悔の無い人生が歩める。

 

「自分らしく生きる。」

言い尽くされてきた言葉である。

しかしどれほどの人間がその言葉の意味について熟考したのだろうか。

 

私は今まで自分らしく生きてきたつもりだった。

大きな選択をするときは、友人に意見を求めたり、インターネットで検索したりして道を選んできた。

LINEの送り方はインターネット。デート先はインターネット。プレゼントはインターネットと友人。

信頼できる友人が多く、コンピューターリテラシーも十分ある自分にしか出来ない、最善の道を常に選び続けられる生き方だと思ってきた。

 

その選択に私自身の意志はどれくらい入っていただろうか。

それはただ失敗したときの後悔を最低限にするための逃避行動でしかなかった。

確率的には最大値を取る選択が出来ていたから。

失敗しても言い訳が出来るから。

自身の無能さを直視しなくても良いから。

 

確かに選択の多くはうまくいった。

インターネットはすごいと思ったものだ。

初めてのことでもそれなりに上手く出来ていたんだから。

 

そして自分の決断に自信が持てない人間になってしまった。

正しい選択肢は常に与えられるものだったから。

 

自分の選択で大きな成功をした経験が無い。

自分の選択で大きな失敗をし、乗り越えた経験がない。

紛れもない自分の選択に命を懸けたことがない。

 

疑問点、わからないことは直ぐに検索する時代。

私のような人間は数多く存在し、これからも増え続けるであろう。

 

純粋培養のもやしのような心を、傷だらけで筋骨逞しい心に育てるのは自分自身しか出来ない。

思考その1

「自分に残された時間は残り48時間である。」

 

そう知ったとき、人はどのような反応をするのだろうか。

おそらく、それはその人がどのような人生を送って来たかに依るのだろう。

 

私は昔から死ぬのが怖い。何があろうと死にたくない。この意識が未来永劫失われ、二度と目覚めることが無いと考えるだけで恐ろしくなってしまう。

 

自身が間もなく死ぬとわかったとき、取り乱すことなく死を受け入れられるような人間は、取り乱して発狂するだろう私と、何が異なるのだろうか。

 

きっと、自分らしく生きているかどうかだと思う。

 

自分らしく生きられていないから、他人の価値基準で人生を生きてきたから、まだ始まってもいない自分の人生が終わることに耐えられない。

 

自分らしく生きている人は、人生を自分の好きなように生きているから、死ぬ前に慌てて自分の人生を歩み始めることがない。

 

毎日数え切れないほど選択がある。

今日選んだその選択肢は、死を目前にしたときでも同じ選択をするだろうか。

その選択は本当に自分の意思で決めたものか。

誤った選択をしたときの責任を他者に押し付けていないか。

 

失敗を恐れるな。自分らしく生きろ。

自分語り

生まれてから23年経ち、周囲の同級生は23才らしく生活しているように見える。

 

私はいくつかの理由によって中学生頃から自分自身を見失い、それに気づかないまま今まで生きてきたように感じる。

いや、気づかないふりをしていただけかもしれない。

 

なんとか誤魔化しながら生きていた。しかし昨日とある出来事が起こり、そのツケをまとめて支払うことになってしまった。

 

今とても苦しい。

辛い時にいつも見る、松岡修造の動画を見て、いつも通り泣いた。

たくさん泣いた。

 

 

自分自身の弱いところから目を背け、他人の顔色を窺って価値基準をその人に合わせ、自分で評価することをしなくなってしまった。

この最悪な自分自身から脱却したい。

自分自身を知りたい。

他者に自分の本質部分を伝えられるような人間になりたい。

自らの視点で周囲を評価し、自分自身の価値基準を確立した人間になりたい。

自分の価値基準を臆面なく他人に伝えられるような人間になりたい。

 ブレない芯を持った人間になりたい。

実年齢相応の精神年齢を持った人間になりたい。